1910 | 明治43年 7月 | 西大寺観音院で「西大寺軌道株式会社」の創立総会を開催 | |
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1911 | 明治44年 5月 | 線路の敷設工事起工、本社、車庫等の建築竣工 | |
1911 | 明治44年 12月 | 西大寺-長岡間の運転開始(一日36回運転) | |
1912 | 明治45年1月 |
長岡-森下間の運転開始の許可が下りる(一日48回運転) 観音駅(西大寺市駅)で開通式典が挙げられ、観音院境内で演遊会が催された。 町家ごとに国旗 が掲揚され、小学生は旗行列を行った。夜間は町民が提灯行列を行い、駅の荷物置場では演芸会が開催された。岡山市森下、国富方面の市民も協賛して、西大寺町民の提灯行列に参加した。 ▼開業当時の駅名 |
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1912 | 明治45年4月 | 専務取締役・山口試孝氏の死去に伴い松田与三郎氏が後任に就任 | |
1913 | 大正2年11月 | 院線(国鉄)と手荷物連帯運輸を開始 | |
1914 | 大正3年7月 | 鉄道院と連帯運輸をする為に駅名の変更を下命されたので観音を西大寺に、松崎を広谷に、岩間を長利に、長岡を財田に、関を幡多に、二本松を藤原に改めた | |
1914 | 大正3年7月 |
特例をもって軌鉄条令下の運行より、軽便鉄道法下の運行に移行 軌道法では機関車に客車一両しか連結することが出来ないが軽便法になると多数の車両が連結出来る。3尺ゲージは全国で我社のみの為、これは特例であった。 |
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1914 | 大正3年11月 | 「西大寺鉄道株式会社」と商号変更 | |
1915 | 大正4年7月 | 入場券発売制度実施(入場券1銭) | |
1915 | 大正4年9月 | 後楽園線の敷設完了、後楽園駅は仮駅のまま営業開始 | |
1915 | 大正4年11月 | 後楽園仮駅から新築停車場に移行し、西大寺-後楽園間が竣成 大正5年10月 幡多駅南方鳥坂山の虚空蔵大師へ参拝者が激増したので幡多駅を大師と改称する。 |
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1919 | 大正8年4月 | 松田与三郎氏が2代目社長に就任 | |
1926 | 大正15年10月 | 株主総会において自動車事業への進出を決定 | |
1927 | 昭和2年2月 |
西大寺鉄道の傍系会社として、岡山市街乗合自動車株式会社設立 西大寺鉄道が乗合自動車事業に進出した最初。後楽園-岡山駅と森下-中納言-西大寺町-城下-岡山駅の2線を運行し、西大寺鉄道の岡山駅まで及び都心までの線路延長の役割を演ぜしめた。 |
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1929 |
昭和4年6月 |
岡山乗合自動車株式会社設立 設立と同時に岡山市街自動車会社を合併し、西大寺鉄道はフォード27台、城下待合所、森下駅構内を車庫として同社に貸与した。これより自動車相互間の競争、自動車対電車との競争と3社が鎬を削る旅客争奪戦が行なわれるようになった。このため岡山市の乗合自動車は急激に発展し市民の交通の便は格段に増加された。 |
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1931 | 昭和6年7月 | 西大寺鉄道にガソリンカー1両を初めて運行(小型20人乗り) | |
1931 | 昭和6年9月 | 満州事変起こる | |
1931 | 昭和6年11月 |
ガソリンカー(小型)4両増車 蒸気機関車は朝夕のラッシュ時だけ運行、その他は全面的にガソリンカーを走行させた。合理化に基づくもので、ガソリンカーは20分ごとに発車した |
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1931 | 昭和6年11月 | 機関車の使用中止により機関助手不要となり、人員整理の問題が起る | |
1935 | 昭和10年10月 | 松田壮三郎氏専務取締役に就任、松田与三郎氏が会長に就任 | |
1935 | 昭和10年11月 | 岡野桂太氏が新社長に就任 | |
1936 | 昭和11年5月 | 両備バス株式会社創立 | |
1937 | 昭和12年1月 | 内務省の旭川改修工事に伴い、後楽園駅を岡山市浜8106に移転。営業キロ11.5が11.4キロに短縮された | |
1937 | 昭和12年7月 | 支那事変が勃発 | |
1939 | 昭和14年2月 |
ガソリンカーに薪瓦斯発生炉を取付け試運転開始 ガソリンの消費規正はいよいよ厳しく、このため輸送力が低下し運輸収入は激減、これの防止対策として実施。ときの一工務員であった森国三平は土光機関区主任を助け西鉄独自のものを完成させた |
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1944 | 昭和19年4月 | 岡山競馬場駅営業休止 | |
1944 | 昭和19年9月 | 暴風雨により線路敷地全長3キロにわたり浸水し広谷駅舎半潰 | |
1945 | 昭和20年8月 | 第二次世界大戦終戦 | |
1946 | 昭和21年9月 | 松田基氏、専務取締役に就任 | |
1947 | 昭和22年11月 | 西大寺-岡山間で、一般乗合旅客運送事業開始 | |
1949 | 昭和24年6月 | 蒸気機関車をスクラップとして売却 | |
1951 | 昭和26年6月 | 大型内燃動車100号(大阪梅鉢製)を小型20人乗りに設計変更し、8号、10号の2両に改造する | |
1952 | 昭和27年2月 | 両備バス株式会社の資本系統は下津井電鉄と分離し西大寺鉄道一本となる | |
1953 | 昭和28年4月 | 西大寺町駅を西大寺市駅に改称 | |
1953 |
昭和28年11月 | 岡山競馬場駅廃止 | |
1955 | 昭和30年10月 | 西大寺鉄道株式会社と両備バス株式会社合併により「両備バス株式会社西大寺鉄道線」と改称 | |
1956 | 昭和31年10月 | 原尾島駅新設(元競馬場跡に県営住宅建設のため) | |
1962 | 昭和37年9月 | (1日)国鉄赤穂線全通 | |
1962 | 昭和37年9月 | (6日)西大寺鉄道線は本日限りをもって52年1ヶ月の永い歴史を終る | |
1962 | 昭和37年9月 | (8日)西大寺市立中学校体育館で閉業式挙行 | |
(両備バス株式会社発行「西大寺鉄道五十二年の歩み」より抜粋) |