開業当時は「関駅」と言い、大正3年に西大寺鉄道は当時の鉄道院(のちの国鉄)と連帯運輸を行なうことになり、全国の院線と紛らわしい駅名は、全て改称を命ぜられ、「幡多駅」となりました。
そして大正5年の春ごろから、駅から3キロほど南へ行った鳥坂山の虚無蔵大師(ゴロゴロ大師)が流行り始め、乗降客が増えたため、駅名を「大師駅」と変更しました。
しかしこのお大師様は長続きしなかったようで、ほんの流行り神様で終わってしまい、西大寺鉄道の意気込みもむなしく終わったということです。
大師駅跡は道路の脇に側線の跡が見られる以外は、面影が無くなっています。
ゴロゴロ大師
大師駅の駅名の由来ともなったゴロゴロ大師。
百間川の今谷橋南の山へ入る道を進むと、「この先行き止まり」の看板があります。
そこを更に300mほど進むと、ゴロゴロ大師の駐車場があり、駐車場の手前を左に入ったところに大師堂があります。